【連載】胴長短足2の③日本の靴の始まり

2010.07.23
「なぜ日本人の体型は胴長短足だったのか」2の③
・日本の靴の始まり

まずは、私たちが毎日履いている靴について話を進めていきたいと思います。そもそも、なぜ日本人は靴を履き始めたのでしょうか。

文明開化以前の日本では、下駄や草履が日本の履き物の主流でした。靴も存在していましたが、現在のものと違い、漢字で「沓」と書く木でできたものでした。沓は中国から取り入れられたものです。オランダのお土産で売っているような木沓を想像してもらうと分かりやすいかと思います。

開国した日本は、西洋諸国に植民地化されるのを恐れ、「富国強兵」政策をとります。軍隊を強化するために、戦争や軍隊の様式を全て西洋化していきます。西洋式の戦争をするためには、下駄や草履ではなく、動きやすくて脱げない靴が必要だったそうです。当時の陸軍大臣(明治政府兵部大輔)の大村益次郎が、日本初の製靴工場「伊勢勝製靴場」の創業者である西村勝三にこう言っています。

「近いうちに国民皆兵の徴兵令が決まるが、そうなると調練はすべて洋式で行うつもりだ。しかし軍帽から軍靴までみな舶来品を使っては、国の経済上たいへんな損失だから、一日も早く軍需品は国産品でまかなうようにしたい。そのため国家的見地から、君の実業的知恵と活動力をこの事業につぎこんでもらいたい頼む。」
(『下駄をはいた?靴の辞典』岸本 孝著 市田 京子監修 文園社より)

このころに西洋から輸入していた靴は高価で、しかも当時の日本人の足のように幅が広く甲の高い足には合わなかったのです。そのため、安価で日本人の足の形に合った靴を自国で製造することが必要とされました。

このようにして、日本の靴の歴史は軍用靴の製造から始まりました。明治に日本でも靴の製造が始まりましたが、当時の靴は高級品で最初に靴が普及したのは政府の役人などの上級階級のみでした。庶民に靴が普及していったのは昭和以降のことです。

現在では、生まれた時から靴を履いて育った世代が増えてきました。昭和54年生まれの私もそうです。今では、下駄を履くのは花火大会で浴衣を着たときくらいのものです。しかし、私の父の世代の方たちは下駄を履いて育っています。私の父は今年で60歳(昭和25年生)になりますが、父の話を聞くと幼少の頃は下駄を履いて育ったそうです。靴が庶民に普及し始めたのは昭和初期から中期にかけてで、日本の靴の歴史はまだ100年も経っていません。

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