一億総貴族化

「仏教思想は、身体を煩悩の宿る場所として、精神よりも下位に置きました。そのため身体を痛めつけるほどの修業をし、精神的解脱を目指したりもしました。また、戦国時代以降の相撲の流行により、日本人は身体文化をすべて力士(力人)にあずけ、それ以外の多くのひとびとは精神文化のみに生きた、という言い方もできるように思われます。
しかし、そのような「身体軽視」の考えは、何も日本に限ったことではありません。
歴代の中国の王朝や李朝朝鮮に(そして日本にも)多大な影響を与えた儒教思想では、身体は労働や戦争に用いるものであり、官僚(科挙に合格したエリート官吏)は、できるだけ身体を動かさず、身体を使わないことが支配者である証左と考えました。」
(「スポーツ解体新書」朝日出版 玉木正之著)

これだけ多くの人々が身体を動かすエネルギーを使わないで、生活ができている
時代は今までに無いかもしれない。
科学や道具、産業の発達により、皆が安価に貴族のように身体を使わない生活を
することができている。

所得の数字だけ見れば「中流」も保てなくなってきた日本だが、運動量の少なさ
という面からみれば、『 一億総貴族化 』 が成されているのではないかと思う。

車や電車を使えば歩かくなていい、毎日自分で世話をしなくても農作物はスーパー
で買える、食事を作るのが面倒ならば外食したりお惣菜を買えばいい、家の掃除は
ロボットがしてくれる。

貴族だから、身の回りのことは全てお金を払って雇った召使い(国やサービス
業者、道具)が世話してくれると勘違いしている。
だから、道にゴミが落ちてても拾わないし、平気でゴミを捨てる。老人に席を
譲らないし、子どもの面倒をみない。

それらは貴族の仕事ではなく召使いの仕事だ。
第三次産業の発達し過ぎた社会がこうなってしまうのかわからないが、皆が
サービスを受けることに慣れ過ぎてしまっている。問題解決をいつもどこかの
サービスに期待してしまい、自分で解決しようとしない。

道ですれ違う人の多くが何でいつも不機嫌な顔をして歩いているのか不思議で
ならなかったが、人々が貴族化して
「何で(貴族の)私が身体を動かさなきゃいけないの?」
と考えているのかもしれないと思ったら少しだけ腑に落ちた。
そして、一億人全てが貴族になったら国が衰退するのも当たり前だと思った。

コメント

  1. 白っぽい犬 より:

    なるほど「貴族化」と考えると色々納得します。
    仕事中はサービスを提供する側として低姿勢なのに、
    消費者側に立った途端、高飛車になるのもよく見るタイプです。
    ちょっと前に言われていた「勝ち組」にも貴族っぽい臭いがします。
    誰かの犠牲を当然とする立ち位置なんて、ねえ。

  2. 鈴木 和孝 より:

    コメントありがとうございます。
    『消費者』という言葉はいつから使われるようになったのでしょうね。
    僕はこの言葉が嫌いです。

    いま原発に変わる自然エネルギーの開発が盛んですが、首都圏のエネルギーを
    地方に作らせるという構造は変わっていない気がします。

    どうしたもんかな、と。

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