都会の画素数、田舎の画素数

都会と空
年が明けて2015年1月1日。東京駅から新幹線に乗り換えて故郷の新潟に向かう。

昔から車や電車の移動中に眠るのが苦手で、新幹線の車窓からボーッと景色を
眺めている。新幹線は東京を出発して上野、大宮へと進んでいく。

大宮あたりまでくると東京や上野と比べて高層ビルの密集がゆるやかに
なってくる。大宮から熊谷、高崎へと進むとどんどんと建物の高さは低くなり、
建物と建物の間の距離も広がっていく。

トンネルを抜けると越後湯沢や浦佐の景色は雪で真っ白におおわれる。
さらに進んで長岡、燕三条に通りかかると次第に雪は減り田んぼが多く
なってくる。終点の新潟駅に近づくとまた少し高いビルが目立ってくるが、
ビルの高さも建物同士の密集の度合いも東京の比ではない。

都市部に近づくにつれて四角い人工物が増え、自然が見えなくなる。
四角い建物には四角い看板がついていて何の建物かを説明している。
コンクリートの四角い建物には四角いドアと四角い窓がついていて、
窓からは四角い部屋でパソコンのモニターを見て四角いキーボードを
叩いて仕事をしている人の姿が見える。
パソコンのモニターも小さな四角(ピクセルまたドット)の集合で形成
されている。

都市部に行くとデジタルカメラのように四角の画素数が増えて、田舎に行くと
四角の画素数が減っていくのだな、ふと思った。
東京駅に戻ってきて東京の街を見渡してみると、自分が小さいころに遊んだ
テレビゲームのスーパーマリオ(初代ファミコン)のカクカクシカシカとした
世界にいるような気分になった。
『脳化社会』とおっしゃる養老孟司先生の言葉も理解できる気がした。
先生は都市空間はバーチャル化するともおっしゃっていたと思う。

しかし、テクノロジーが発展して人工物ばかりを目にしているとに忘れて
しまいそうになるが、自然は人間の肉眼では捉えきれないほどの細かな画素数で
形成されている。

都会の画素数が多いのか、田舎の画素数が多いのか、どちらなのだろう。