『生きるとは、自分の物語をつくること』読書記録その②

河合
 そう、質問する側が勝手に物語を作ってしまうんです。下手な人ほどそうです。「三日前から学校行ってません」て言うと、「三日か。少しだね。頑張れば行けるね」とか。これから百年休むつもりかわからないのにね(笑)。

小川
 「もう少し頑張れば行ける」という、こっちの望む物語を言ってしまうわけですね。

河合
 人間いうのは物事を了解できると安定するんです。今この部屋にある物みんな、どれも了解可能でしょう。だから安心して座っていられる。ところが僕が何か仕掛けをして、突然風船がパァと飛んで来たとする。それでも僕が平気で話していたら、皆さんもう気になって気になって仕方がないでしょう(笑)。了解不能のことというのは、人間を不安にするんです。そういう時下手な人ほど、自分が早く了解して安心したいんです。」

小川
 なるほど。

河合
 相手を置き去りにして、了解するんです。それで「お父さんなんとかならんもんかねえ」とか勝手なことを言う。相談に来た子は、自分の世界と違うことが起こっているから、ますます無口になります。それで最後に、「まあ、頑張りなさい」で終わり。

小川
 納得しているのは先生だけなわけですね。患者さんを置き去りにする。患者さんの持っている深い井戸に、付き添って行く途中で降りてしまうという感じですね。

『生きるとは、自分の物語をつくること』小川洋子 河合隼雄著 新潮文庫

「ヨガでこのポーズができるようになりたいのですが。」と先生に質問したら、「じゃあ、できるまで頑張ってくださいね。」と返ってきたという生徒さんのお話をよく聞きます。

これも先生が生徒さんを置き去りにしてしまっています。
感覚だけで運動していて、ある程度できてしまっている先生には、できない人が何でそのポーズができないのか理解できません。
きっと、本当に自分は何となく頑張ったらできたのだと思います。

先生は自分が「頑張った」過程を具体的に説明してあげるとよいです。

「いきなりこのポーズは難易度が高いから、まずはこの優しいポーズから初めるといいよ。」
「ここの筋肉が伸びている感覚、この関節が回っている感覚を意識しながら動作を行うといいよ。」
「1日○回を○週間がんばって続けてみましょう。」

生徒さんも同じように少し具体的に質問すれば、良いアドバイスが返ってきたかもしれません。

「このポーズができるようになりたいのですが、今の私にはキツイので一段階優しいポーズはありますか?」
「先生は、このポーズをしている時に、どこの筋肉が伸びている感覚がありますか?」
「先生は、どのくらいの回数をどのくらいの期間続けたら、このポーズができるようになりましたか?」

先生は生徒さんに一方的に教えるのではなくて、一緒に考えてあげるという態度をとるとお互いの会話が繋がって物事が進んでいきます。先生は高飛車な態度をとらず、生徒さんは教えを素直に聞いても先生に従順になり過ぎないことが大切だと思います。

僕は生徒さんから、よく「何で鈴木さんにできて、どうして私ができないんですか?何か悔しいです。」なんて言われますが、「一応、僕は先生ですからね(笑)。」とお答えしています。
上下関係がわからなくなりますが、物事が進めばそんなものはどっちでもよいのかもしれません。もちろんお友達みたいに近すぎても上手くいかないので距離関係の加減が難しいところではあります。


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