祖父の冷たい頬

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今日は忙しくなる。
午前中に佐倉マラソンの応援に行って、午後からは新潟の兄が家族を連れて我が家に泊まりにくる。翌日は兄の家族とディズニーランドに遊びにいく。姪と甥たちに一日中振り回されてヘロヘロになるだろう。

そんなことを思いながら自宅マンションの玄関を出て、駅に向かう途中で携帯電話が鳴る。
「母さんの方の祖父が今朝亡くなったから今回の旅行は中止にする。色々と準備してくれたのにすまない。」
新潟の兄からだった。

しばらく自分で上手く情報処理ができなかったのか、そのまま京葉線に乗って佐倉に向かってしまった。途中、蘇我駅で降りて妻に電話をして、今回の兄の旅行が中止になったこととその理由を話してようやく事態が飲み込めてきた。

体調を崩して入院していたとは耳にしていたが、また元気に回復するものだとばかり信じていた。急遽、祖父を見送るために新潟へ帰ることになった。

母方の祖父とは一緒に暮らしてはいなかったが、小さい頃からずいぶんと可愛がってもらっていた。祖父の喋り言葉には独特のイントネーションと地域の方言とが混ざり合っていて、なかなか言葉を聞きとるのが難しかったが、「うん、うん。」と自分がうなずくとにこやかな微笑みを返してくれた。

新潟の実家で一晩を過ごし翌日お通夜へ。
おばさんが「和孝くん、来てくれてありがとう。おじいさん綺麗な顔で眠っているから最後に触ってあげて。」と声をかけてくれた。

棺桶でねている祖父の頬を触って、その冷たさを感じて涙がこみ上げてきた。
「ああ、もう祖父は帰ってこないのだな。」とようやく実感できた。
生きている人間に触れるときよりも丁寧な触り方をしていた自分に驚いた。あの感覚を忘れないようにしたい。

セレモニーホールでは十数年ぶりに従姉妹と再開した。
昔一緒に遊んだ話や、子育てなど近況を話し合ってお互いに笑った。

通夜で泣いて、その後の親戚一同の食事会で笑って、翌日のお経で悲しくなって、火葬場へのバスで笑って、火葬場で悲しくなって、焼かれている間にまた話して、お骨を納めるときにまた悲しくなって。

なんだか泣いたり笑ったり忙しいやつだな、と少し自分に呆れた。
ああ、これはまだ自分が小さいころ曽祖父の葬儀で見て腹を立てていた大人と一緒の姿だ。

「なんで曽祖父が亡くなったのに皆んな笑って話してお酒飲んでるんだろう。」
と小さい自分には不思議でならなかった。

大人になると葬儀の準備とかやることが増えたり、情報処理が早くなったり、要領がよくなってしまったりしているのだ。
「ごめんね。でも悲しいのは本当なんだよ。」
と小さいころの自分に心の中で謝った。