ブログを続けていこうという気持ちになれました。『日記の魔力』の読書記録

ここ1〜2年くらいこのブログのコンセプトを見失っていましたが、このままで良いのだと思えるようになってきました。
というよりも、もともとコンセプトなど無く、ランニングの記録や読書の記録など、自分の書きたいことを書き綴っていただけなんですね。

何度かはコンセプトを意識して『外に開いたブログ』を書いても見ましたが、自他共に面白くない記事が多かったです。
以前のように、あまり周りを意識せず『内に閉じたブログ』をこつこつ淡々と綴っていこうと思います。(周りを意識せずといっても身近の少数の誰かや自分自身へ向けて書いているのだとは思います。)

この本を読んで、またブログを続けていこうと決意することができました。

考える練習の場として

 たとえば、映画を見て感動したとき、その感動は、何らかのかたちで言語化しなければ、「感動した」とか「よかった」という漠然とし た思いだけで終わってしまう。
 せっかく感動したのに、何に感動したのかきちんと追求していないため、抽象的な印象しか残らないのだ。
 これはとても、もったいないことだと思う。
 感動を言語化するためには、どこがどうよかったのか、自分は何に感動したのかという具体的な理由を明確にしなければならない。そのためには考えることが必要になる。
 つまり、言語化するということが、意識をその物事に向け、より深く考えるということにつながるのだ。
「書く」ことが、「考える練習」になるわけである。
  考える訓練を本格的に行っ たことのある人は別だが、そういう場をもたない人は、上手に考えることができない。実際には、上手に考えることができない人のほうが、圧倒的に多いのだ。

まず、ブログが自分にとって『書く訓練の場』として必要です。
自分一人で原稿用紙で文章を練習してもよいのですが、その原稿用紙を見てくれる人は少なく限られています。
誰かに見られている緊張感が無いと文章は上手くなりません。

ブログで読書記録をサボっていた間も読書は続けていましたが、ブログに書き出すのが面倒になっていました。せっかく本を読んだのに反芻して深く考える機会を逸してしまいもったいなかったと反省しています。
 

読書の理由やパターンの分析に

これは読書においてもいえる。その時期にその本を読むのには、人生のその時々の必要に迫られた必然的な理由があるのだ。

読書記録をつけていくと、自分がどの年齢でどんな本を読んでいたのかが解って面白いです。
ブログ内の記録が全てではないですが、自分は斎藤孝養老孟司内田樹橋本治河合隼雄先生の本を多く読んでいます。

特に河合隼雄先生の本には自分自身が癒されて回復していっているのが解ります。(病んでたね。病んでるね。)
河合隼雄先生の存在を知り、本を読み始めた頃には先生が亡くなってしまいましたが、亡くなった後も先生の本を読み続けました。これからも読むと思います。
亡くなった方の本に自分が助けられているのかと思うと、河合先生の仕事の偉大さを感じます。自分も河合先生のように他の人に何か良いものを残せる、助けになるような仕事を成し遂げたいです。

読書を続けていくと、「あ、一段階層が深くなったな」という瞬間がやってきます。
引用とか原著をたどっていくと、読んでいる本の情報の質が上がっていくのが解り、いっそう読書が楽しくなります。
これも読書の醍醐味だと思います。

決意表明の場として

しかし、日記に書いておけば、わからなくなることはない。
 そして、その決意と宣言を何回も繰り返して読むことによって、「何年も前 に決意しているのに、まだ自分はやっていない」というような自己反省が出てくる。ならば、いつまでにやろうと対策も考えられる。

マラソンの『サブ3.5』を宣言してから数年経っています。
2009年の東京マラソンでサブ4を達成するまでは右肩上がりで記録が伸びていましたが、サブ3.5の壁にぶち当たっています。

正確にいうと壁を避けていましたのかもしれません。
生活リズムが変わって、仕事が忙しくて練習時間が取れない、歳をくった、身長の高い自分にはマラソンは向いていない、などなどたくさんの言い訳で自分を縛っていました。

面白いことに、こういった言い訳をしていると、それを打ち破っている人が目の前にたくさん現れてきます。
自分よりも仕事が忙しいのに練習を続けている人、自分よりも高齢からマラソンを始めたのに自分よりも記録の良い人、身長が高くても速い人。

こういった方に出会えて言い訳ができなくなりました。元気をもらったと言い換えてもよいですね。サブ3.5の壁を破るべく準備を進めていきたいです。

ルーティンの確認に

迷いが生じているときというのは、生活に何らかの乱れが生じているときでもある。
 仕事が忙しすぎて疲れ果てていたり、怠け心が出て寝坊が続いていたり。事象はさまざまだが、心の乱れは必ず生活に表れている。
 逆の言い方をすれば、生活が乱れているから、心に迷いが生じるのだ。
 日記を読み返すと、そのことがよく わかる。

自身で過去のブログを読み返してみると、ランニング、読書、ブログのルーティンが回っている時の方が好調のようです。

■ブログの読書記録
 2007年(10記事)
  2008年(49記事)
  2009年(33記事) 
  2010年(20記事)
  2011年(15記事)
  2012年(9記事)
  2013年(1記事)
  2014年(6記事)
  2015年(10記事)

本の厚さや内容にもよりますが2008年は49冊の本の読書記録をブログで更新していました。
また、このルーティンを大切にしていきたいです。
 

さいごに

その時点では理屈は見えていなくても、記録は残しておく。
 なぜなら、五年後にこれを見たときに、その理屈や関連性が見えてくるかもしれないからだ。

このブログに関しては、自由に自分の好きなことを書いていこうかなと考えています。
今は意味はあまり解らないけれど、そのうち意味がわかってくるかもしれません。


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