「ひきこもりはなぜ『治る』のか?」を読んでのメモ①

 ひきこもりの人たちは、しばしば「本当に働きたい」と口にします。この言葉が本音であることを私は疑いませんが、なぜか彼らは行動を起こせない。その理由の一つが、彼らが「働きたい」という言葉を欲望としていっているのか、義務としていっているのかが彼ら自身にもはっきりしない、ということがあるように思います。「欲望の言葉」と「義務の言葉」の区別が、非常にあいまいなのです。
本人自身も「おれは本当に働きたいんだろうか」「働かなければという義務感からそういっているだけなんだろうか」と自問自答していることがあります。こんなふうに義務と欲望が判然としない状態というのは、実は一番動きづらいのです。自らの欲望によって動くという方向性と、義務感から動くというベクトルはまったく反対向きですから、身動きがとれなくなるのは当然なのです。
ひきこもりはなぜ「治る」のか? 斎藤環 著(ちくま文庫)

自分の中で、どの気持ちが欲望でどれが義務か、まだ細かく区別がつかないが、読んだだけで頭が少しスッキリとした。
自分が年齢を重ねて必要となるお金が増えてきたためか、無意識の内に「働かなくては」という義務感が大きくなっていた気がする。昔は「働かなくては」ではなくて、今のようなかたちで「働きたい」という気持ちの方が大きかった。
(「働きたい」という気持ちも自分の好き勝手に決めたわけではなく、初めは苦労するだろうが40、50歳代になってから、必ず今のかたちで働く方が有利だと考えたからだ。)

店舗を借りてから、今のようなかたちで「働きたい」という欲求が満たされてきて固まってしまった。かたちの外枠を固めて中を整えていく時期だとも思うが新しいことをしていないので窮屈さを感じる。

店舗を借りる前の方が外に向かって動けていた。(内が、留まる場所が無かったから当たり前なんですが。)
原因の解らない窮屈感を感じていたが、少しスッキリしたのでまた動けそうだ。


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