『こんな日本でよかったね』読書記録


『いいよ、これはオレがやっとくよ』という言葉で未来のカタストロフ
は未然に防ぐことができる。けれどもカタストロフは『未然に
防がれて』しまったので、誰も『オレ』の功績を知らない(本人も
知らない)。
そういうものである。

成果主義は、この『成果にカウントされないが、システムの崩壊を
あらかじめ救ったふるまい』をゼロ査定する。

だから、完全な成果主義社会では、システム崩壊を未然に防ぐ
『匿名で行われ、報酬の期待できない行為』には誰も興味を
示さない。私たちの社会システムはそんなふうにしてしだいに
危険水域に近づいている。

『誰の責任だ』という言葉を慎み、『私がやっておきます』という
言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす
以外に日本を救う方途はないと私は思う。
前途遼遠だが、それしか方法はない。

「こんな日本でよかったね」 内田樹 著

めちゃくちゃスケールが小さくなるが、お夕飯を食べるという目的を
達成する時は、
買い出しに行き食材を持ち帰る→調理する→食べる→美味しい
→食べ終わった食器を洗う→食器を棚に片付ける

この全ての工程が進まないとお夕飯を達成することができない。
・食材の買い出し
・調理
・食器洗い
・食器片付け

最も注目され成果として評価されるのは「調理する」工程で、
それ以外は面倒なことが多く誰もやりたがらない。
調理するには技術が必要なので、それ相応に評価される必要があるが、
その他の仕事についても評価されなければいけないと思う。

例え方が少しズレているし、「食器洗いも褒めろ」という誰かの愚痴
みたいになってきたのでここでお終い。
(ちなみに「カタストロフ」は「破局」や「破滅」を意味するそうです。)

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