言葉がかたくなってきた

ネットニュースで有名人の失言が取り上げられます。
見出しに切り取られた一文を読むとたしかにそれはまちがったことなんだけれど、発言全体を聞いて、文脈でとらえるとそこは伝えたい要旨とは関係ないところだから別に取り上げなくてもいいんじゃない?、なんてことが多いです。
発言全体の要旨を批判するのは有益だけど、切り取った一文、切り取った単語の揚げ足を取るのはナンセンス。
一文ではなくて文脈だと意味が違って、同じ文脈でもその言葉を発する人によって意味が違ってきます。

 

僕の昔からの友人Sと話すときは、いつも話半分で聞いています。

「あそこのラーメンが美味くてさ!」
Sはこってり系が好きです。僕はアッサリ醤油系が好きなので一緒に食べに行こうと誘われても話にはのりません。(千葉県のなりたけは好きです。)

Sは待ち合わせ場所にだいたい遅れてやってきます。
もう待つのが嫌なので、10時集合の約束をしたときは自分も10時20分くらいに目的地に着くようにしています。Sのトリッキーなところが面白くて遊んでいて、正確性は求めていないからまあOKなのです。

Kの「毎日晩酌でちょっとだけビール飲んでるよ。」は、500缶2本であまりちょっとではない。

妻の「いや〜たくさん食べたわ!」は、小学生低学年くらいの量でたいして食べていない。

義母の「このミカンは甘いから食べてみて!」は、たいてい酸っぱい。

義父の「あのとき釣ったヒラメは○○cmはオーバーしてて、ほんとうに大きかったな〜。」は、多分嬉しさで10cmくらい上乗せされている。

 

ビジネスでは誤解のないようにカッチリ言葉を組み立てやり取りをしますが、プライベートでは柔らかい言葉の受け取り方をしたほうが楽しいです。
べつに一般女性の食事量やミカンの糖度、ヒラメの大きさの平均を知りたいわけではないですし。
言葉に正確さを求めすぎると、その人の持ち味が無くなってつまらなくなります。
(一般的な平均値を知っておくことも大切ですし、約束事なんかはまた別ですが。)

虫眼鏡を覗くような細かな言葉の揚げ足どりが繰り返されるネットの世界が少し窮屈になってきました。
スマホから世界を眺めるのって、虫眼鏡を覗いている姿に似ているかもしれません。