技術と態度の両立「河合隼雄のカウンセリング入門」

技術と態度のバランス

P175
なぜかと言うと、ともかく何にも知らないけれど黙っていたらいいということを教えてもらって皆さん帰られる。普通なら「おまえどうした」と言うところをちょっと黙っていた。そのときに向こうが言ったことがカウンセラーの心を打つ場合があるわけです。それによってその人は経験が深くなる。沈黙というのがどういう意味を持つのかということが、その人にわかるわけです。はじめは態度も何もなかった。よそから聴いてきた〝沈黙絶対〟というのを「技術」としてだけ思っていたのが、そういうので感激するから「態度」になる。

勉強や経験を積み重ねていくと、どうしても技術重視に偏りやすい。
自分の積み重ねてきた知識や技術通りに物事を進めたくなって、自分の知識や技術通りに進まないとクライアントの方がおかしいと否定してしまったりさえする。

精度の高まった技術は一定の安定した成果を生み出すが、徐々にその成果に慣れてしまって感動が薄れてくる。

「何でまだ新しい専門書が必要なの?」と聞かれることがある。
「今でもそこそこの技術があってクライアントが大勢ついているでしょう。講師の仕事もしているでしょう。高価な専門書を買ってもあなたは時間単価を上げるわけではないでしょう。専門書なんてコストがかかるだけじゃないの?」というような旨を伝えたいのだと思う。

この言い分はものすごくわかるのだけれど、感動が薄れてしまったら自分がこの仕事を続けられなくなってしまう気がする。
感動は自分の想定外のところにある。
こんな思いがけもしなかったパターンの運動や治療や声がけで人間の体って回復するのか!という感動が自分がこの仕事を続けるモチベーションになっている。
いっとき数字ばかり追いかけてこの感動が薄れてしまっていた時期がある。熱が冷めてしまっていることがクライアントにもバレていて色々と上手くいかなかった。

お互いにわからないところからのスタート

P48

そこにも、「もう少しわかれば、あるいは全部わかったら私が考えて決着をつけよう」そういう気持ちがあるんですね。ところが僕は思うんですけれども、僕らが本当にカウンセリングをする場合には、決着がわからない。僕もわからないし向こうもわからない。どちらもわからないというところから、カウンセリングというのは始まるんです。だから、これは非常にむずかしいことだと思ってもらわないといけませんね。いわば、いままでだれにもわからなかったことをやるんだというふうに言ってもいいと思うんです。

「足関節前距腓靭帯捻挫の二度で、回復には○週間ほどかかります。」

外傷で組織の損傷部位がはっきりしている場合は具体的な治癒期間を告げることができる。

でも、そうでないケースも多くある。
情報を集めて、ある程度の道筋は立ててトレーニングや治療をしているが、正確な到着点というのはわからない。
「どれくらいで治りますか?」と尋ねられても、「今現在よりも一歩ずつ良くしていきます。(悪くしないようにします。)」としか応えられない場合もある。

ハッキリと治癒期間を答えてくれないと頼り無いと感じてしまうだろうが、わかりもしない治癒期間を何となく答えることはできない。
できるだけ短時間で治したいと願うのはやまやまだけれど、「今よりもマシにしたいです」と開き直って長いスパンで考えてくれる人の方が回復していく。

「いついつまでに結果が出なかったら全額返金保障」というようなサービスとは全くの反対の態度。
教育や医療はサービス化を進めないほうがいいと思っている。

「どのくらいのところまで行けるかわかりませんが一緒にやってみましょう。」

お互いにわからないところからスタートするというのが一番むずかしい。
でもスタートできたら今より物事が進んでいく。お互いに腹を決めるほかない。

「他の話」という遊び部分の大切さ

P214
これは皆さん、そういうことをやってみられるとわかりますが、クライアントの人は自分の悩みを言って、「どうしたら治るでしょう」とか、「なぜでしょう」と言っている間に、必ずほかの話を始めます。その、ほかの話のように見えることが、実は「なぜでしょう、どうしましょう」ということにつながっている場合が、非常に多いのです。

「技術」に固まって自分の思い通りに進めようとすると、この「ほかの話」が出てこなくなる。
「ほかの話」を聞くには「態度」が大切だ。

知識や技術の経験が積み重なると変な貫禄が出てしまい、要らない圧迫感を出してしまう。
この圧迫感があるとクライアントは話すのを止めてしまう。
本当にエライ先生は意識的にこの圧迫感を抑えていて、クライアントが話かけやすいように穏やかな顔をしている。

前回はスクワットの予備動作として膝の運動をやった。
今回は骨盤と股関節の操作を練習してからスクワットに繋げようとセッション前に準備していたのに、

「先生、今日は何だか右の肩甲骨が気になります。」

なんて話からセッションがスタートする。

「じゃあ、肩甲骨のトレーニングやってみましょうか。」

とクライアントの話に乗っかり、思い切って自分の理屈から飛躍してみる。

自分が準備していたものを全て捨てて、いきなりアドリブで肩甲骨のトレーニングをやるのはしんどいのだが、肩甲骨のトレーニング後の方がスクワットのフォームが綺麗になったりするのが本当に面白い。

こんな話には乗らずに自分の理屈通りに骨盤の操作をしてスクワットを行なっても、なかなかパフォーマンスが上がらなかったりする。

全て理屈で固めずに、遊びを設けることで自分の想像以上の高さの到着点にゴールできることがある。
理屈がわかるのは、まずはやってみて成功した後だったりすることが多い。
勉強していないと相手の話が飛躍した時に置き去りにされてしまう。

P9
「カウンセリング」ということを言い出した先達の人たちは、実際にそういうことで非常に悩みはじめたわけです。そうして、忠告したり、叱責したり、いろんな方法があるわけですけれども、そういうのを全部やめたら一つだけ残るものがあるということに気がついたんですね。カウンセラーとしていちばん大事なこと、それは忠告するのでもなければ、叱るのでもなければ、説教でもない。「聴く」ということです。

久しぶりに河合隼雄先生の本を読んで身が引き締まった。
自分も先生のような「態度」を身につけていきたい。

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