自分の拠り所

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Monoar / Pixabay


三歳くらいまでは自分の記憶が無い。
曽祖父や祖父や両親に自分の生まれた頃はどんな子だったの?と尋ねて確認する。
生まれた瞬間を見た両親や家族が自分の存在を承認してくれていた。

曽祖父、曽祖母、祖父の兄妹などが旅立っていき、自分が生まれたと断言してくれていた証人が減っていくのを寂しく感じる。いや、寂しいというよりも拠り所が減って少しだけ不安定になっている。

人間は誰でも皆んな、コミュニティ(家族、地域、会社)、お金、権力や地位、身体、知識が拠り所となっている。

皆、体力が落ちて若い頃よりも身体が動かなくなってくる。
頭が回らなくなってきて記憶も言葉も失っていく。
会社を辞めれば権力や地位も無くなる。
自分と同世代の友人は先に旅立ってだんだんと少なくなっていく。

おそらく歳を重ねていくと拠り所が減っていくのだろうと思う。

上座に座らせる、一番先にお酌をする、一番風呂に入る、一緒に食事をする、挨拶(おはよう、行ってきます、ただいま、おかえりなさい、お休みなさいなどの声がけ)などの小さな風習が祖父を支えて安定させている気がする。

社会の合理化が進むに連れてこういった風習は廃れていきそうだけれど、大切なものは残していきたい。

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