ぶつかっているのか、ぶつかりにいっているのか

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スポーツジムでレッスンをしているといつも不機嫌そうな中高年の女性がいる。
直接、自分に訴えてくるわけではないのだが、いつも額に皺を寄せて冷房が寒いとブツブツとつぶやいている。

スポーツジムのレッスンスタジオの空調調節はなかなか難しい。
20〜30名ほど参加するレッスンで、参加者の方が、男性か女性か、若いか高齢か、太っているか痩せているか、筋肉が多いか少ないか、ジムに入館したばかりか入館して運動したあとか、条件がそれぞれ違うので全ての人が完璧に満足する温度に設定するのは不可能に近い。
室内温度などがいちいち気になるとレッスンに集中してもらえないので自分も気を使っているつもりだ。レッスン前には「冷房が寒かったら教えてください」と声もかけている。

あと考えられる対策としては、スタジオ内で冷房の風が当たりにくい場所を選ぶのと、自分のスポーツウェアを少し厚着にすること、そしてこのレッスンに参加しないことだ。

この女性は、わざわざ冷房の当たる場所に薄着でレッスンに参加して毎回勝手に不機嫌になっていた。
「寒かったですか、すみません。」とレッスン後に声をかけると、少し嬉しそうに微笑んでくれるが、何回も繰り返すうちに私が面倒になって声がけを止めてしまった。(心狭っ)

「何でこの方は、自分から自分が不機嫌になる状況にぶつかりにいってわざわざ不機嫌になっているんだろう?」

不思議で仕方がなかったが、自分のことを思い返してみると自分も同じようなことをしているのかもしれないと思った。
自分が仕事をしていて、いつもぶつかるのは社会的地位、権威、お金、学位だったりする。こういったものにわざわざぶつかりながら生きてきているので社会的地位も権威もお金も学位といったものと縁がない。

権威もお金も学位もどれも仕事には重要だ。これらがあったらもっと仕事の進行が速いだろう。何でわざわざこんなものにぶつかりながら生きてきているのか自分で不思議に思った。

あるいは、権威的なものに対しては、無条件に反撥する男性を、精神分析することによって、その男性の幼児期における父親に対する憎しみの感情が、未解決のままで残されていることを発見することもあろう。
 このように見てくると、これまでにあげた多くの例においても、エディプス・コンプレックスの問題として考えると了解できるものが多くあると思われる。確かに、男性にとって父親というものは対処するのが難しい相手でもある。勝ち目がないと思って屈服してしまうのも残念であるし、反抗し続けたり、あるいはエディプスのように完全に打ち負かしてしまうと悔いが残る。

コンプレックス (岩波新書) 河合隼雄著 より

心理学に詳しいわけではないが、社会、権威、お金、学位は父性の象徴なのではないかと思う。

父は優しい人だった。
高圧的に一方的な指図や口出しをすることはほとんどなかった。
子供の頃から父親と衝突した記憶は少ない。(少ないけど大きな衝突あります)

「あぁ、自分は父親と喧嘩がしたかっただけなのかもしれない。」

だから、自分は父性を象徴する社会とぶつかり続けていたのかもしれない。
そう思うと腑に落ちスッキリとした。
父は優しいが自分との衝突を避逃げただけなのではないか、とも思った。

しばらく経ってお盆に新潟へ帰省した。
家族と親族での宴会が終わった後、めずらしく一対一で父と話をする時間があった。

「自由に色々とさせてくれてありがとう。父さんは勝手な俺によく口出ししなかったね?」

本当に感謝の気持ちもあったが、父が自分との衝突を逃げただけでないかということも確かめたくて、カマをかけるつもりで話しかけた。

「お前たちが小さいころはな、じいさんのお前たちへの干渉がひどかったんだよ。俺がさらに口出しをしたらお前らがつぶれると思っていた。」

と父から返ってきた。
自分たちが小さいころは優しい祖父だったという記憶しかないが、大人になってからあちこちから話を聞いていると祖父はなかなか強情で大変なところがある人だったらしい。

父は自分との衝突から逃げていたわけではなかった。
それどころか小さい自分が意識できない祖父からの圧力からずっと守ってくれていた。

自分との衝突から逃げていただけなのではないかと勝手に父を蔑んだ自分の浅ましさが恥ずかしくなった。
口出しはしなかったけれど、自分を見ていてくれたのはずっと感じていた、痛いほどわかる。自分の浅ましさと父への感謝の気持ちで心がぐちゃぐちゃになって目頭が熱くなった。