「依存症ビジネス―『廃人』製造社会の真実」読書記録

 現代ほど、自分の気分を変えてくれそうに見える魅力的な物や経験がこんなにも多量に手に入る時代はない。「物や経験」という言葉は曖昧に響くかもしれないが、それこそが肝心な点だ。依存症が物質の乱用に限られたことは今まで一度もなかった。今日では私たちがハマりかねない新たな「物」や「プロセス」や「関係」が、毎週のように、テクノロジーを介して届けられている。

著者のいうように「依存」は物質の乱用に限ったものではないということを忘れてはいけないと思う。スマートフォンから毎日大量の情報がタイムラインに流れ出しているのが当たり前になった。今まで新聞や雑誌だけで得ていた情報量の比ではないだろう。
消費者を依存させる材料が「物質」ではない方が、企業は材料費がかからずより儲かる。

 私たちに言えるのは、社会の発達の加速化が、ジャフィのピラミッド模型の内部の仕切りを下方に押しさげているということだけだ。より多くの者が、依存者予備軍の層、すなわち無防備な消費者という中間層に身を置くようになってきている。より多くの者が、深刻な依存的行動に陥る危険性に、未だかつてないほどさらされているのだ。潜在的に有害な誘惑を無視するには、以前より意志の力を振りしぼらなければならない。にもかかわらず、人々は自分が依存症の方向にシフトしていることにさえ気づかないことがある。そして、ようやくそれに気づいたときには、唖然とするというありさまなのだ。

ここ数年でよく聞くようになったフレーズも消費者の財布を弛めている。

「こだわり」「ご褒美」「ゆるキャラ」などどいうフレーズが定着しつつあるのはここ数年だろう。フレーズが定着すればそれを消費者は習慣化する。

「こだわり」なんていう言葉も「依存」に意味が近いかもしれない。食物であれば、あまりこだわらないで好き嫌いせず何でも食べる方がおそらく栄養バランスがとれて健康的だ。レストランのメニューの品書きがいちいち長くなったのはいつからだろう。

仕事で疲れた日は、小さくてささやかな「ご褒美」が欲しくなる。「今日はこんなに頑張ったんだから・・・」といつもよりワンランク上の値段のビールをカゴに入れてしまう。「ご褒美」というフレーズが商品単価を引き上げている。自分も週に何回ご褒美を与えているのかわからない。。

「ゆるキャラ」も思想や志を表現するためのエンブレムとしての役割は薄く、けっきょく財布の紐を「ゆるめる」ためのキャラクターだといえなくもない。問題になった東京オリンピックのエンブレムも、広告と並べて表示すると企業広告の方が目立つと苦言する専門家がいた。邪推かもしれないが、良くも悪くも頭の良い人は企業広告が目立つようオリンピックエンブレムをデザインするのかもしれない。

 ピラミッドの内部では、それまでバラバラに存在していたテクノロジーが混じりあいはじめ、容認できる行動の境界線を引きなおしている。フィックスを手にしたいという欲望につけ入る技は、急速にさまざまな分野を横断するものになりつつあるのだ。
 その理由は、ゲーム、ギャンブル、ポルノ、ファストフード、そして製薬業界の専門家たちが、それぞれ互いの成功例を研究し、盗める技術をくすねあっていることにある。今日の家庭用電子機器は、猛烈なテストの成果であり、家電業界より不健全な業界の製品を大々的に盗作した成果なのだ。メーカーはドーパミンを放出させるガジェットを、ライバル社の製品よりずっと病みつきなるものにしようと、しのぎを削っている。

ツイッターの構造はスロットマシンに似ていると聞いたことがあるし、フェイスブックの承認欲求も心理学を研究した裏付けから作成されているのだと思う。
https://twitter.com/pentaxxx/status/630550242715303936

学術的に人間という動物の本性が研究されつくし、それがビジネスに応用されている。
魚の本性を理解した漁船が夜の海でライトを照らして魚を集めるように、魚は何の光かわからず網の存在にも気付かずいつのまにか網に囲まれている。
そうとう知識があるか、自然のものか人口のものかを見極める勘がそうとう良くないと企業の狙い通りに行動してしまう。
ビジネスが「社会貢献」というより「狩り」に近づいてきていると感じるのは私だけだろうか。


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