『邪悪なものの鎮め方』読書記録

幼児とは『過去の私』のことであり、老人とは『未来の私』のことで
あり、病人や障害者は「たまたまある分岐点で『あっち』にいった私」
である。

私たちは時間差を置いて、あるときはこの『十字架』を担う側に
まわり、あるときは『十字架』として担われる側にまわる。

トータルではだいたい『とんとん』だと私は計算している。

『邪悪なものの鎮め方』 内田樹 著

以前に、このブログで書いた「アンチアンチエイジングをお客様が呼んで
くださって、「きちんと繋がっている家庭で素敵ですね。」と誉めてもらった。
自分もこの「繋がり」を文章で表現したかったのだな、と思った。

病とはある状態に『居着く』ことである。

『こだわる』というのは文字通り『居着く』ことである。
『プライドを持つ』というのも、『理想我』に居着くことである。
『被害者意識を持つ』というのは、『弱者である私』に居着くこと
 である。
『強大な何か』によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、
『自分らしくあること』を許されていない、という文型で自分の
現状を一度説明してしまった人間は、その説明に『居着く』こと
 になる。
『自分自身にかけた呪い』の強さを人々はあまりに軽んじている。

(前出より)

『呪い』って別にスピリチュアルなものではなく、小さな呪いは私たちの
日常にも溢れているようだ。

ワラ人形もインターネットの誹謗中傷もさほど変わらないのかもしれない。

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